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小袖 江戸のオートクチュール(後半)

小袖展(後半)
行ってきました。

「小袖 江戸のオートクチュール」後半。

画像は入り口付近のパネル。係員の方に確認したら、ここでは撮影可だったので、ぱちり。

   ※ 

それにしても、この季節はきものには不向きですね。

昨日も、大降りではないものの、降ったり止んだりの雨に、

「きもの、どーしよーかなー」

と迷ううち、時間が!

あわててそのままの服装で電車に飛び乗りました(そしてやはりそういう時に、知り合いに会うのであった・・・)

会場につくと、土曜日でもあり、会期も終わりに近づいていることでもあり、けっこうな混雑。

そして、あいにくのお天気にも関わらず、きもの姿の美人もたくさん。

うーん、やはり私も着ればよかった。

   ※

さて、展示ですが、会期の前期と後期では展示品がかなり入れ替えられていました。

強いて言えば、前期の方が私は好みでした(笑)

「伝・淀殿」小袖の原本もあったし。

衣匠美 衣匠美

著者:藤森 武,白洲 正子
販売元:世界文化社
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白洲正子「衣装美」の表紙写真↑のきものの原本じゃないかというような、辻が花の裂も、家康の胴服も見られました。

また、前期の方が「仕立て直し」の小袖が多くて、そういったところがおもしろく感じられました。

もちろん、前期も後期もレベルの高い小袖の展示で、印象が大幅に違うわけではありませんが。

   ※

そういえば、‘仕立て直し’た小袖について、「打ち敷き」に転用されていたという解説パネルがありました(前期のみ。後期では見当たらなかった)。

「打ち敷き」は仏壇の中に敷くものです。で、持ち主の死後、供養のために小袖を打ち敷きに仕立て、寺に収めることが行われていたそうです。

ここまでは分かるのです。

そうやって奉納された袈裟なども見たことがあるし、壬生狂言の衣装も持ち主の供養のために奉納されたものだと聞くし。

わからないのは、この後。

打ち敷きから、再度小袖に仕立て直されたものがあったのです。

打ち敷きだったときにつけられた線香の焼け焦げがあちこちに見られる小袖、なんてものもありました。

打ち敷きから小袖にさらに直す・・・って、いったいどんな人が?どんな経緯で?

坊さんが古着屋に売り払ったとか?

遺族が「あれ、もう一回使いたいんですけど」と頼んだとか?

また、前期・後期ともに目に付いたのが、途中から違う生地を足してしまった小袖。

袖が足りないとか、すそにちょっと足してある、なんていうものがちょくちょくありました。

中でもすごいと思ったのが、紫の絽の小袖(すそに見事な猫の刺繍)。

身頃は絽なのに、両袖は普通のりんずだったのです。

そんなのあり!?

また、絽なのに紅絹で裾にふきがついていました。両袖口にも、当然紅絹がのぞいています。

おおらかといえば、おおらかなのですが、いったい、どこでどういう人が着たんでしょう???

  ※

前期で展示されていた「伝淀殿所用」の小袖ですが、後期ではその復元品(昭和9年製)が展示されるということで、楽しみにしていました。

けれど、この扱いが、ちょっとさびしかった・・・

出口付近に「復元品」という説明だけで展示されていたのです。

また、退色した原本と比べて、復元品はかなり鮮やかだったので、係員の女性に訊ねたところ、はじめ、「あれとは違う小袖の復元です」と言われ、再度確認を頼んだところ、やはりあの小袖の復元品と判明。

(うーむ・・・そりゃ職員ではあっても呉服専門とは限らないのだろうけれど、そして親切に確認してはくれたのだけれど、でも、ちょっとさびしいなあ・・・)

復元された小袖は、赤と黒の地に刺繍やら摺箔やらがびっしりと施されていました。特に金の箔は切り嵌め模様のようになっており、その多くがゼブラ柄のような感じ。

は、派手・・・

「へうげもの」で淀殿が豹柄の打ちかけを着ていたのを思い出してしまいました(笑)

   ※

小袖展、来週まで。

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コメント

坊さんが売っちゃったんですかねー(笑)、「もう充分供養したから」って払い下げにされたのかしら。

白い帷子の袖口や裏襟にも紅絹がついていて、透けて見えますよね。
薄物にもふきがついていた時代には、「どんな着物にもふきをつけるのが当然」という決まりがあったんでしょうね。それを今のように「薄物にはふきをつけてはいけない」時代の目で見ると奇異な感じ・・・
着物の「伝統」って、案外あやふやなものだなーと思います。

昔(戦前?)、単衣の襟先の裏にだけつける、小さな布を売っていたらしいです。着た時におはしょりのあたりにチラッと見えるおしゃれだったんでしょう。面白そうだけど、今のようにキチキチッと着る着方だとあまり効果ないかもです。

投稿: ひろすけ | 2008年6月 2日 (月) 15時30分

ひろすけさん
あっ、本当だ!
図録をよく見たら、他の薄物にもついていました。そういう時代もあったんですねえ。
昔売られていたという衿先の裏に付ける布、池田重子さんの本で見た記憶が…今あったら欲しいです。どーゆー訳かよくおはしょりから裏が出てしまうんです(笑)

投稿: 花兎 | 2008年6月 4日 (水) 19時23分

私も「打ち敷きを再度小袖に・・・」という着物、拝見しました。
で、首を傾げてしまいました。
そもそも打ち敷きという物を知らなかったので「仏壇の中に敷く」という記述を読んで、家に置く仏壇のなかに敷く布なのかと解釈したのですが(実際うちの仏壇には布が敷いてあるし)お寺に収めたものなのだとしたら納得いかないですね。
う~ん・・・

それにしても着物が日常だった時代というのは、身分の高い方の着物でも、想像が追いつかないほどにおおらかですね(笑

投稿: ぷる | 2008年6月 4日 (水) 22時14分

ぷるさん
ほんと、おおらかですよね~
江戸時代、庶民は一生のうちに、一枚か二枚反物から着物を作れればいいほうだった、という説明をよんだことがあります(たしか『杉浦日向子の江戸塾』PHP文庫で)。
たいていは古着屋で買ったり売ったりしていたとか。
小袖も大切に大切にしたんでしょうね。

投稿: 花兎 | 2008年6月 7日 (土) 04時30分

 はじめまして。行こういこうと思いつつ、前期が終わり、後期も残り少ないですね・・。
ちょっとまとまって暇ができると独りカラオケ(それも洋メタル)&スーパー銭湯に走ってしまうので・・。はぁ~、自分で縫った着物着て行きたいんですけどねぇ・・。

 あ、私はミクシィでもこのHNでおります。よろしければ覗いてやってくださいませ。正体わかりますよ。

投稿: やるまいぞ | 2008年6月12日 (木) 21時59分

やるまいぞさん

ようこそおいでくださいました。
いい展示会って、終わるの早いですねー。
行くことはできましたか?
東京、大阪でもきっと人気でしょうね。
多くの方に、ぜひ、楽しんでいただきたい会でしたよ。

投稿: 花兎 | 2008年6月13日 (金) 22時02分

今回もまた、面白そうですねぇ。
花兎さんのレポートも分かり易くて嬉しいです。

ふき綿の入った夏の着物、見てみたいです。

足りない部分を他の布で足す、やっぱりそういうことをやっていたのですね~。

どれもこれも興味深いです。

投稿: りら | 2008年6月18日 (水) 00時30分

りらさん
面白かったです♪
そういえば、夏の小袖、袖は取り替えてあるのに身頃はきれいなままで、どういう着方をしていたのか不思議でした。替えるくらいなんだから、よほど袖は汚れたかなんかしたと思うんですが…

投稿: 花兎 | 2008年6月20日 (金) 06時55分

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