仕立て直しの大島
あ~!
待ち遠しかった!
昨年9月に出して、5月ごろ催促して、8月にできてきました。
ネットで見つけた悉皆屋さんです。
洗い張り済みのものを頼んだのですが、一緒に洗い張りと仕立てなおしを頼んだ夏御召、男物の大島よりも遅かった・・・
でも、無事にできてきて、ほっとしています。
この大島は祖母が嫁入りするときに持参したという一枚です。
何度も水をくぐったので、かなりうすく、やわらかくなっています。
次に仕立て直すときには袷にしないと無理でしょう。
このきもの、私が見つけたときには洗い張りされて箪笥の底に眠っていました(かれこれ30年近くしまわれていたので、洗い張りしたとはいえ、ちょっとしわしわ)。
足りない分は似た色の布を足してもらいました。
後ろには居敷当てもつけてもらいました。
胴はぎ部分です
戦後間もない頃、大伯母(祖父の姉)に貸したことがあるそうです。
大伯母は茶道、華道で生計を立てていたので、やはり時々はきものを替えて行く必要があり、
かといって女手一つで息子を育てているのに、新しく買えるわけもなく。
それで、仲の良かった祖母に借りに来たのだそうです。
といっても祖母と大伯母はかなり体型が違う。
なので、解いて縫い直して着て、返すときにはまた解いて・・・ということをしたそうです。
洗い張りは本職に頼んだようですが、仕立ては自分で。
縫ったり解いたり、洗い張りしたり、貸したり借りたりが、今よりも日常的だったんだなあと思いました。
そういえば、この二人は一緒に家の庭で染物をしたり(大鍋でぐらぐら煮て・・・という話をしていました)、簡単な洗い張りもしたと言っていました。
時には染物屋へ行き、
「あんた、そっちの型紙にするの?」
「私これにするから、それも貸してね」
なんていうやりとりをしたのだとか。
当時は自分でいろいろなことをする人が多かったので、染め粉や型紙も簡単に手に入ったようです。
二人とも同じような型紙を買うと、同じような柄しかできないので、で相談して、違った傾向の型を買い、染め直しの着物に柄を置いたりしたのだそうです。
ところで、大伯母はこの大島を、お寺の茶会でお手前をするときに着ていたそうです。
茶会では柔らかものが基本、と教えられていたので、へー、と思いました。
茶会とはいえ大寄せで、田舎のことだから大島でも大丈夫だったのか。
その着物ではダメ、なんてことを言っていられない時代だったのか。
それとも、大伯母が、そういったことに構っていられない状態でがんばっていたのか。
いろいろ想像してしまいました。
| 固定リンク
「きもの」カテゴリの記事
- 小袖 江戸のオートクチュール(後半)(2008.06.01)
- 小袖 江戸のオートクチュール(後半)(2008.06.01)
- 稲垣稔次郎氏の型染め(2008.05.11)
- 小袖 江戸のオートクチュール(2008.05.10)
- 仕立て直し(長襦袢篇)(2008.04.29)


コメント
単、ようやく仕上がったんですね。
かろうじて、9月の単に間に合いましたね。
貸し借りのたんびに縫い直しとは・・・お針が出来て当たり前だったんですね。
茶席の着物の約束事が(庶民にも対しても)やかましくなったのは、近代のことかもしれませんね。
投稿: uzuz | 2006年9月16日 (土) 10時55分
色々 まつわる話がでてきてホロッとしますね。
昔は大島は貴重品だったと思います。実家は本当に堅実主義だったので、祖母は染めの着物しかもってなかったようです。白生地から何度も染め変えて着られるからです。
貸し借りの度の縫い代えに堪えるなんて、便利な反面、お互いモノを大切に取り扱っていたのだなぁとそのお気持ちが伝わってくるお話ですね^^;(愚妹とはサイズがビミョーに違いますが、高価なスーツは共用します。爆;)
この大島、お洒落ですねぇ。是非お召しになって下さいな。
投稿: りこ | 2006年9月16日 (土) 11時22分
uzuzさん
仕立て直し、はじめから一年近く掛かりますよ、とか言ってくれていれば、こちらも心積もりができたのですけどねえ・・・
でも実は大伯母は裁縫が不得手だったんですよ!>お針が出来て当たり前
よほどのことがない限りみんなが自分で縫ったから、多少の下手っぴは目立たなかったのかも??
投稿: 花兎 | 2006年9月16日 (土) 20時55分
りこさん
ありがとうございます。
かなりくったりしてきていますが、まだしばらくは大丈夫そうなので、せっせと着ようと思います。
姉妹っていいですね~。
私は一人っ子なので、姉妹での貸し借りって憧れます。
投稿: 花兎 | 2006年9月16日 (土) 20時56分
格好良くも、可愛らしくも着られそうな大島だわー(*^^*)
愛情と心が詰ったお着物をお召しになるって幸せですね。
織の着物が、洗い張りを重ねて柔らかくなっているのって、また味わい深いことでしょう。
投稿: ぴっころ | 2006年9月17日 (日) 00時46分
ぴっころさん
ありがとうございます。
祖母が生きているうちに話を聞けてよかったです。
そうでないと、欲張りな私が「あっ、こんなのあった。ラッキー」としか思わなかったでしょうし(笑)
投稿: 花兎 | 2006年9月18日 (月) 05時00分
いやぁ、やっぱり姉妹がいるって良いですよねぇ。
うちは母は兄三人の中の女一人、私は兄と二人の兄妹、着物が回ってこないはずですね。
こうやって古い着物を生き返らせて着るって、着物の真価発揮ですよね。
それが近しい方から譲られたものというのが、正しい日本だなぁという気がします。
投稿: りら | 2006年9月18日 (月) 13時35分
大島は今も高いですが、昔はもっと貴重だったから、ちょっとしたお茶会ならばOKだったのかもしれませんね。
茶道は戦争で一時期廃れたと聞いていますから、その時期は着物の決まりごとなんか構っていられなかったということもあると思います。
投稿: 子連れ狼 | 2006年9月19日 (火) 19時50分
りらさん
ほんと、嬉しいことです>こうやって古い着物を生き返らせて着るって、
こういう作業をしてくれる職人さんたちにも感謝!です。
投稿: 花兎 | 2006年9月19日 (火) 21時24分
子連れ狼さん
やっぱり、戦争は大変なことだったんですよね。>茶道は戦争で一時期廃れたと聞いていますから、
そのような状態から再興してきた方々にも感謝しなくてはなりませんね。
投稿: 花兎 | 2006年9月19日 (火) 21時24分