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祖母の喪服

Hi340017_2

先日、やはり祖母の箪笥の上置から出てきました。
日の丸には「滅私奉公」と墨で書かれています。布は絹のようです。
戦時中に、国防婦人会の会合などに持っていったと思われます。
かなりしわしわですが、61年分のしわなら、これくらいはあるでしょう。
 
下は、洗い張りしたままの喪服です。

 
数年前に箪笥の底から、絽の長襦袢が出て着ました。
楊柳の半衿がついたままで、全体に黄色く変色し、ところどころ、赤いような茶のような色に染まっています。
 
祖母に見せたところ、
「ああ、それは・・・」
と憤懣やるかたない、という表情で話してくれました。
 
衛生兵だった祖父は、上海の病院で戦病死しました。
戦争は終わっていたのですが、軍医とともに、事後処理のために現地に残されたそうです。
翌年、その軍医と一緒にチフスにかかり、結局帰ってこられませんでした。
 
春に公報が入り、暑くなってきた頃に遺骨・遺品を受け取りに、祖母が名古屋の援護局へ出むいたそうです。
絽縮緬の喪服も長襦袢も、嫁入り道具として持参して以来はじめての着用でした。
 
白木の箱を抱えての帰路、祖母の乗った電車は混んでいました。
戦後一年経つかたたずで、まだ人心もすさんでいたのでしょう。
「そのあたり(援護局付近)で白木の箱を持った喪服の人間がいたら、どういう状況か一目でわかるだろうに、だーれも席をゆずってくれんかった!」
つり革につかまることもできず、大汗をかいて帰ってきたそうです。
 
家に帰って喪服を脱いでみれば、汗でひどいことになっている。
喪服だけでなく、戦争の始まった頃に作った喪服は染があまかったのか、紋のあたりがにじみ、長襦袢に色移りもしてしまっていました。

Hi340016_1紋自体は大丈夫なようですが、周囲が変色しています。

 
「喪服はそれでも洗い張りに出したけど、長襦袢の方は腹がたって、そのまま丸めて押し込んでおいた」
それを私が引っ張り出したようです。
「喪服も、それは見るとあんまり腹が立つから、ほうっておいた」
 
その日暑かったことも、人間が荒れていたことも、終戦の後に祖父が死ななくてはならなかったことも、祖母には悲しいを通り越して、腹立たしいこととして記憶されているようでした。
喪服と長襦袢はその気持ちをぶつけられた形で、箪笥の底に眠っていたようです。
 
 
その長襦袢と紋付は、祖母が私に、
「なにか、もだこと(玩びこと?)してもいいよ」
ということになりました。リメイクしてもいい、というのです。
その時には祖母の怒りも、さすがに和らいできていたのでしょう。
喪服は昔の反物なので、私には巾が狭く、仕立て直しても着ることができません。
長襦袢は傷んでいますが、無事なところが多少あります。
私がもう少し縫い物になれたら、うそつきの袖や帯にでもしようと思います。
 

Mago8091_2  

曽祖父・曾祖母、祖母、伯父、父で。

戦地の祖父に送ったものです。

祖父が戦友と見せ合うことを考えて、祖母もお洒落をしていったと思われます。

父が息子と同じ顔をしていて笑えます。

Mago81092_3 家の前で、出征する祖父を囲んで家族で。

写真の裏を見ると、昭和19年や20年といった日付が書かれています。

そんな物不足、食糧不足の頃に、よく写真屋さんが営業していたな、と思いました。
ですが、父たちに言わせると、写真屋さんは大丈夫だっただろう、とのこと。
戦地に赴く前や、戦地にいる家族に送るために写真を撮る人が多く、写真屋さんというのは必要なもの、と思われていたような記憶があると言います。

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「きもの」カテゴリの記事

コメント

人間が荒れていた、というのがとてもリアルに伝わってきました。戦後60年という時をへて、戦争経験者の孫世代であるわたしは「着物を着るたのしみ」だけを享受しているのだなぁと思いました。
時代を耐え抜いた先人たちと、着物たちに、感謝を感じます。たいせつに着ないとナ!(破いてしまったおしり、ハヤク縫わなきゃ〜!)

投稿: gubaku | 2006年8月16日 (水) 10時21分

黒は赤で染めてから黒を重ねないと、イイ色にならないと染め屋さんに聞きました。その赤が襦袢に染みたのですねーー;

着物にまつわる思い出。洋服ならこんなことはない・・といつも思います。着物には思い出が残るのですね。

投稿: りこ | 2006年8月16日 (水) 17時19分

祖母から聞いた伯父のシベリアでの戦死の時の話と重なって、涙がこぼれてしまいました。
そう言えば、御世話になっている日本橋浜町の悉皆屋さんが、黒の染めの難しさと苦労を仰っていました。

投稿: ぴっころ | 2006年8月17日 (木) 00時12分

gubakuさん
本当に、大変な時代をよく生き延びたなあ、という人がいますよね。同じように生き延びてきた着物もあって。
きっとそういう昔の着物たち、gubakuさんはじめ、着てくれる人に感謝していると思います。それでまた新しい、明るい思い出を詰めることができますもんね(私もアンティークの着物着たい…)

投稿: 花兎 | 2006年8月17日 (木) 04時26分

りこさん
いい黒にするための下地が、トラブルの元になることもあるなんて、なんとも微妙ですよね…

そうなんですよね。不思議です。>着物には思い出が残るのですね。

投稿: 花兎 | 2006年8月17日 (木) 04時27分

ぴっころさん
伯父様はシベリアでだったのですか。過酷なところだったと聞きます。お祖母様方はさぞご心痛だったと思います。

黒…シンプルだけど(だから?)難しいんですねえ。

投稿: 花兎 | 2006年8月17日 (木) 04時28分

お祖父様は、戦病死されていたんですね。それも、戦後では、お祖母様はさぞかし嘆かれたことでしょう。

戦後に中国に残って(残らされて)苦労した日本兵はたくさんいたようですね。
生還した方も補償されず、まだご苦労されているようだし、戦後61年とはいえ、まだ終わっていないのかもしれないと思いました。

投稿: 子連れ狼 | 2006年8月18日 (金) 12時51分

子連れ狼さん
同じ村から出征した人が、引き上げ船の甲板から、港で船を見ている祖父を見たそうです。さぞ乗りたかっただろうと思います。
出征した方々の苦労も想像するだに胸が痛みますが、国内で戦災に遭ったたくさんの人が、何の補償も受けられずに放置されているという事実を、先日初めて知りました(全国戦災傷害者連絡会会長・杉山千佐子さんへのインタビュー記事で)。
ほんとうに61年たっても、終わったわけではないのでしょう。

投稿: 花兎 | 2006年8月18日 (金) 19時44分

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